第伍話 アメリカツアーとその想い
そんな日々を紡いでいた2011年3月11日。
日本を震撼するあの出来事が起こる。
その衝撃は日本だけでなく、世界中の人々の心に、大きな傷と悲しみを持って
刻まれた出来事であった。

その時の姫の心には、どんな想いがあったのだろうか。

「あの出来事が起こってから、やっぱり・・すごく辛かったよね。
その辛さはどんなかと言われたら、とても簡単に言葉では言えないけど。
はっきり言って自分の立場や存在してる意味なんて、何にも無いなと思ったもんね。

出来事の直後は、それこそ全ての事に対して疑問符と自分自身に対する
無力感の無限ループだった感じ。
仕事に関しては、業界自体が自粛ムードっていうか、
機能停止状態になってたところもあるし、それに関しては仕方のないことで、
それよりも今はやるべきことがあるだろうって、考えなくてもわかる状況の中で、
自分はこれから何をすべきなのかなって、考えても考えてもうまく答えが出せなくて、

単純に言えば、この場所でしいなえいひとして発言したり、活動すること自体も
正しいことなのかわからない状態で。
けどその二日後、あたしは前々から決まってた仕事で撮影に行かなきゃいけなくて。
それが、ファッション撮影とかでさ。正直、今だから言えるけど、キツかったよね。

こんな時に、やるべきことなのかなって、考えたらなんか違う気がして。
けど、だからと言って、その仕事に行かないって選択はどうしても出来なかった。
自分の責任としてね。

カメラの前でうまく笑えんのかなって考えたら、現場に向かう道中、
逃げ出したい気持ちにかられたけど、これが今のあたしの仕事なんだなって思ったら、
やるしかないなって思って。
現場では、いつもあたしのメイクを担当してくれるナッキーがいて。
みんな言葉にはしないけど、気持ちは同じなんだろうってことは伝わってきた。

ナッキーはあたしの気持ちを察するかのように、始終明るく振る舞ってくれて。
しいなえいひらしいメイクを、気合入れてしてくれてね。
だからカメラの前で精一杯気持ちからっぽにして笑ったけど、
今でもあの時撮影した作品を見るのは正直ツライ」

なんとか無事撮影を終え、自宅に戻った姫は、それから一週間ほどの記憶があまり無いという。

「ずっと家に籠ってたら、心配した母親が夜、合いカギを持って家に訪ねてきて、
真っ暗な部屋に突然明かりが灯って、ああ、夜になってたんだってことを知った。
母にその時の気持ちを話しながら、ぼろぼろ泣けてきて、もう、どうしようもなかった感じだった。

ほんとに辛いのは、あたしなんかじゃなくて、現地にいる人達だってわかってたけど、
どうしようもないくらい落ち込んでたね。その次の日かな、朝方だったんだけど、
まだ眠れずに起きていたら、ニューヨークのマークさんから、私のところにメールが届いてね。」

マーク氏は、以前から姫が訪れた各国の映画祭などでも幾度となく交流のある人物で、
映画祭の運営や、三池監督の「オーディション」の世界版DVD発売等にも関わった、
縁の深い人物であった。マークさんからのメールには、「大丈夫ですか?」
という心配の言葉と共に、こんな言葉が添えてあった。

「えいひ、今の日本は大変な状況かもしれないけど、みんなこっちで祈っている、
頑張ってほしい。今日の夜はニューヨークで「オーディション」が上映される日だよ。
みんな楽しみにしてる、本当なら三池監督もこちらに来る予定だったけど、
残念ながら中止になった、けれどもこんな時だからこそ、この素晴らしい作品を
僕はみんなに見てもらいたいと思う。とても楽しい映画だから。
4月にえいひがニューヨークにやってくるのをみんな楽しみにしているんだ。
だから頑張って!応援しています!」

そう、実はこの頃ニューヨークでは、1ヶ月に渡り映画祭が開催されていて、
マークさんが姫にメールを送ったちょうどその日から、映画祭で三池監督の
特集が行われることになっていた。そしてその日の晩、姫の出演した「オーディション」
は、特集のオープニングを飾ることになっていたのだ。

あの出来事が起こる直前、マークさんと東京で、4月から姫も渡米する予定であった
ニューヨークで行われるイベントの打ち合わせを行った際に、映画祭のことを聞き、
映画祭の三池監督特集のトップに、姫の写真が使われたパンフレットを受け取っていた。
本来ならば、海外のファンの皆さんも訪れてくれているこの場所で、
映画祭のことをお知らせしたい気持ちは山々だったが、今回の出来事のこともあり、
姫自身の判断で、自分のお仕事などに関する宣伝や掲載は、
自粛させていただいていた状況だった。

けれども、アメリカに住むファンのことや、上映を楽しみにしてくれているファンのことは
ずっと姫の胸の中にあった。今の日本の状況の中で自分の立場や気持ちに揺らぎ、
迷う自分が居たけれど、今の自分が出来ることをしなくては、マークさんからのメールを読み、
そう思った。まだ気持ちの整理はついていないけれど、マークさんのメールに答えたくて、
姫は必死に返信を打った。

「マークさん、ありがとう。今の日本は悲しみにみちみちているけれど、
こんな時だからこそ自分達は人々に楽しんでもらえることは何か、
何が出来るのか考えてゆかなくてはいけませんね。どんな環境でも、どんな状況でも、
あたしの作品が楽しんでもらえるなら幸せだ。どうかアメリカのファンの皆様に、
ありがとうと伝えて欲しい」

そしてすぐに姫のもとにマークさんから返信が来る。

「えいひ、ありがとう。こんなに楽しい映画だから。だから上映しなければならないよ。
実はこの特集の上映の収益の一部を災害の支援金として送ります。そしてしいなさん、
よろしければ今晩の上映の際、観客の皆さんと直接話すことはできますか?
今のところアメリカから日本までの電話は全部無料です。
出来れば上映前しいなさんにみんなに挨拶をしてほしい。きっとみんな喜ぶ。電話します。
大丈夫であれば教えてください。出来なければもちろん大丈夫です。
日本の時間は朝10:30になる。ではまたニューヨークで。凄く楽しみです。
ニューヨークをしいなさんに見せたい!」

遠く離れたニューヨークから、私たち日本に住む人々のことを、祈り応援してくれてい
る人々がいる。今の日本を心配しながらも、作品を見たいと、支援に役立てたいと
言ってくれる人々がいる。日本から、電話での舞台挨拶という形にはなるけれど、
精一杯みんなに、感謝とお礼の挨拶をしたいと姫は思った。

自分の関わった作品が海を渡り、それが人々の役に立つことができるなら、
微力ながらでも、アメリカと今の日本を繋ぐ支援の架け橋になれるのなら、
こんなに救われることはない、心からそう思った。あの出来事が起こってから今日まで、
今の自分は正しいのか、何も出来ないんじゃないかと心苦しかったけど、
今できることからはじめよう、そう思い姫はその場で舞台挨拶への電話出演を決めた。

その時のことを姫はこう語る。

「舞台挨拶をする本番までは、ほんの数時間しかなかったけど、残された時間の中で、
自分なりに精一杯考えて、下手くそな英語で舞台あいさつをすることにしたんだ。
パンダーマンのイラストを描くために用意してた色画用紙に、
本番で話したいことを箇条書きにしてまとめて。いろいろ考えては浮かび、浮かんでは消え、
なかなかまとまらなかったけどね。でも思ったんだ。もうさ、気持ちだけ伝えようかなって。
っていうかそれしかなくないか?って思ってさ。最後は。

私は普段、海外などで舞台あいさつやインタビューを受ける際に、
基本的には日本語で話してたんだ。それは、あたしなりにいろいろ考えて、最初の挨拶以外は
自分の話す日本語をちゃんと伝えていきたいっていう気持ちもあったからなんだけど、
だってさ、あたしがうまくない英語で話しても、細かいニュアンスは伝えられないし、
あたしは日本で仕事をしててたまたま日本の代表としてその作品を見てもらうために
行ってるわけだから、英語が話せなくちゃいけないとか、英語を話しに行くのが
一番の目的ではないと思っていたところがあったから。

けれどね、今回は違うんじゃないかと思って。来てくれた人々に、
その人達の話す母国語で話さなきゃ意味がないと思ったんだ。下手くそでもいいやって。
それが筋だよなって。

画用紙のまき散らされたリビングの床は、紫や金色や銀色の色まみれで、
なかなかあたしのパニックっぷりが垣間見れる感じでちょっと笑えたけど、
でも最後は、これでいこうって、これしかないよなって思って、
一枚の画用紙に書きなぐった文章に決めた。」

「朝十時に、マークさんからテストのコールが鳴って、会場は電波状況も悪いから、
もしかしたら途切れ途切れに音声が聞こえないかもしれないって話だったけど、
本番はスピーカーも電波もうまいことハマって。奇跡だよね。感謝する。
神様はいるかどうかはわからないけど、もしも居るとしたら。

日本時間で本番の10時半にもう一度コールが鳴って、マークさんが
「しいなさん、会場につながってます、聞こえますか?」と言った。
そのあと彼が英語で会場のみんなに私のことを英語で説明してくれている声が
電話越しに聞こえてきて、次の瞬間、会場からの割れんばかりの拍手と歓声が
地鳴りのように聞こえてきた。私はもうその段階で、ボロボロ泣きそうでヤバかったんだけど、
なんとかここはちゃんとぐっと堪えて、伝えなくちゃって思った。」

ハローエブリバーディー!で始まった、つたない英語の挨拶を読みながら、
姫は電話越しに精一杯挨拶をした。
今の日本の状況と想い、作品を見に来てくれた人々への感謝、私たちは離れていても、
心だけはどこにいても繋がっている、だから、会場にいるみんなも共に祈って欲しい。
日本に住むみんなが、みんなの心が、日本が、一日も早く復興できることを。
どうか映画を楽しんでください。私も今度はみんなに会いに4月にニューヨークに行きます。
それまでどうかみんなも元気でいてほしい。愛をこめて夜露詩紅!と。

挨拶が終わって、マークさんが姫に、

「完璧だった、みんなにきっと伝わっている」と言った。
マークさんの声の向こう側で、大きな拍手とみんなの歓声が聞こえた。
姫は死ぬまでこの時のことを忘れないだろうと、そう思ったと言う。

そして一か月後に渡米を控えたある日、ベルギーで行われるフィルムフェスティバルで
ブリュッセルに飛び立つことになっていた西村さんと姫は話した。

「それまで考えていたことを正直に話したよ。西村さんは、今の時期に、
日本を離れるのは心配だ、複雑だと言っていた。その気持ちは痛いほどに分かったよね。
日本に生まれて日本で育ち、こうして生きてきたわけだから、理由は言わなくてもわかる。
日本が好きだから。ただそれだけ。

ヘルドライバーは、ある出来事によって日本が分断される、
その時の日本と少なからずシチュエーションがリンクしている映画で。
正直、作り手である西村さんも、その時の日本の状況を考えた時に、
沸き上がる気持ちはとても言葉では言い表わせないものがあったと思う。
作品に関わったあたしも、同じ気持ちだったし、けれどだからこそ今、
西村さんが作品に込めたメッセージを、ちゃんと自分の言葉で伝えにゆくことは
とても意味があることだと、あたしはそう思ったんだ。

それと同時に、西村さんとね、あたしたちみたいな仕事は、本当はいらない、
別に無くてもいい仕事なんだよねって、話した。その言葉を口に出すことは、
お互いにとってとてもためらいがある、重い言葉だったと思う。

けれどもそんなことは、最初からわかっていたことなんだけどね。
映画や芸術は娯楽。作品も何もかも、無かったら生きていけない生活必需品じゃないから。
誰かに言われなくても、そんなことは自分が一番わかっていたし。
けれど、だからこそあたしたちは、関わった作品に対して、
世に送り出されるものに対して、せめて精一杯の想いを込めていかなきゃいけないねって
話しをして。気持ちの中では、それこそ、複雑でバラバラだったけどさ、
こうして創られた作品が海を渡り、日本の代表としてメッセージを伝えにゆく役割を
担うならば、それに対してできる限り元気な姿でみんなの前に出て、
いつもの西村さんらしく、私らしく、思いっきり暴れてこなきゃいけないなと思って。

日本はイケるぜ!みたいな、これからもやっていくぜ!みたいな、
そして世界の皆さん、引き続き日本に応援よろしく!日本はいい所だよ!って、
伝えにいかなくちゃだからね。」

あの出来事の直後、日本への観光客や来日は相次いでキャンセル、
西村さんの地元の浅草では、すっかり町から外国人の人々の姿が消えたと言っていた。
だからこそ、そう思ったのだという。

そしてその時の電話で、西村さんは姫にこうも言ったそうだ。

「西村さんと電話で、これからの自分に何が出来るだろうってことを話していた時に、
西村さんが、「姫、絵本を書くような姫の言葉で、何かを創ってください」って言った。

「姫が今まで感じてきたこと、今考えていることを、姫の言葉で、そのまま、
絵本を書くような気持ちで作品にしてください。それはどんな形でもいい、
これから考えて行ってください。きっとそれは、日本だけじゃなく、
みんなに伝わるものになると思います。姫にしか出来ないことです。
その答えが出来たら、僕も必ず協力します。それが姫の今からやっていくことです」って。

その時にね、思った。西村さんの言葉を聞いて、自分がやるべきこと、
女優としてだけではなく、表現する人間として、やるべきことをこれからもう一度
考えて行かなくてはって思った」

それと同時に、一か月後に迫った渡米への思いもさらに強くなった。

「日本で報道されていることと、海を越えて報道されていることには温度差があるし、
日本での日々の報道を見ていても、そのブレに気が付いているのはみんなそうだろうと思って。

今日本から世界に出ていくことは、出ていく側も、受け入れる側も、
今までとは少し違う、私たちに対する様々な変化があるはずだろうって思ってた。

その現実を目の前に、しいなえいひはどんな顔で皆さんの前に出て行くのか。
何が出来るのか。私に出来ることなどたかが知れてるけど、旅立つまでに
せめて精一杯考えなくちゃって」

そして一か月後、予定通り姫は西村さんと共にニューヨークへ飛び立った。
ニューヨークとダラスで行われた上映とイベントの様子は、その後補完計画の
「しいなえいひアメリカツアー」の中で詳細に語られている。

そしてこの出来事と、アメリカツアーが、
その後の姫にとって大きな意味を持つこととなっていった。